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今後の広告収入の使い道についてと非適応的思考祭り

はてなブログ はてなブログ-ブログ運営・Google AdSense

「はてなブログ PRO」の利用料金を差し引いた残りは読者の方に還元することにしていたGoogle AdSenseの収益、わたしがいじけて閉じこもってしまったせいで使い道が絶賛迷子です…。

誠に勝手ながら、12月23日で有効期限が切れる「はてなブログPRO」を更新してブログを続ける場合には次の一年分の利用料金に充てるか、今後のブログの執筆(大袈裟…)に繋がるような何かに投資するということで、何卒、ご寛恕のほどを賜りたくお願い申し上げます。*1

ブログやめる時はどうしましょうね。お疲れ様って、自分にプレゼントしてもいいですか。

www.amazon.co.jp

ダメ…?



ところで、少し前にモヤモヤした時に「わざわざ言う必要あるかな?」と自分に問いかけて「言わない」を選択をし続けるようになってしまう話を書いたけれど、そもそもモヤモヤに限らず自分の気持ちや考えを誰かに言う必要なんてあるのかな(たぶん家族にだってそんなに言う必要あることなんてないのに…)と思えてきて、なんだかよくわからなくなってきました。

それなら、とりあえず「言わない」でいいような気がするのだけど、以前に比べれば減った(と思う)ものの、相変わらず、どこかで見たり聞いたことに対してモヤモヤしては、弁明(言い訳?)か反論(批判?)かポロポロ言い(書き)、軽く自己嫌悪していたりしてますよね…頭では「わざわざ言う必要ない」「言わんでよろしい」となっているにも関わらず、この「それでも言いたい(書きたい)」ような心理はいったい何なんなのか…自分をぶん殴りたくなります。



最近は、ひとのブログなどを見ていても、これまで「わかる気がする」とか「一理あるかも」とか「そういう考え方もあるんだなあ」とか、フムフムと読んでいたものを、「この人は、どういう心理でこんなことをわざわざ言うんだろう」とか「実は、言葉とは裏腹にこんなことを表明したいのではないか」とか、いちいちウムム…とややこしく考えるようになってしまって、自分でも何やっているんだろうと思うのだけれど、もう困惑しかない。

特に「好き」とか「嫌い」(「好きではない」「苦手」のような言い替えも含む)とか、「いい」とか「悪い」とか、「おいしい」とか「まずい」とか、「きれい」とか「きたない」とか、「丁寧」とか「ぞんざい」とか、そういう主観的な判断(あと「常識」とか「非常識」みたいなことも)を見たり聞いたりするのは、困惑というより、ちょっと恐怖。



例えば、「プリン超好き―♡」と言われたら、プリン超嫌いでも「プリン嫌い」と言いづらくなる人いると思うのだけど、だとしたら「プリン嫌いな人を排除したい」心理が働いているのではないかとか「プリン嫌いなお前は嫌い」というメッセージが隠されているのではないかとか、認知が歪んでる(認知行動療法どこ行った…)としか思えないのだけど、怖い怖い怖い!もうダメ降参!!ってなりますよね。(適応的思考ができている人なら、たぶんならない。)

実際には、プリン超嫌いでもとりあえず「プリン好きなんだねー。ふーん。」って話だけは聞くし、わざわざ「プリン嫌い」って言う必要なかったら言わなくていいし、言っても別に何もないと思うのだけど、もしかしたら、言ってよくなる関係もあるのかもしれないけれど。



で、「言う必要があるか」自分に問いかけて「言いたい心理」を考え始めたら「好き」も「嫌い」も言うの怖くなっちゃったんだけど、どうしたらいい…。(自滅)

*1:広告収入の使い道の詳細の記録と報告ができるように、新しくブログをつくろうと思っているのだけど、公開未定というか、あまり興味ない…?つくったらこっそり公開して、どこかにリンクを貼っておきます…。